高知県立歴史民俗資料館 |
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四国を代表する戦国武将・長宗我部氏の居城、岡豊城跡(史跡)に立つ資料館。 |
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高知県の歴史と文化を考古・歴史・民俗の資料によって総合的に展示しています。 |
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また館の立地する岡豊山は戦国時代の長宗我部氏の居城跡で、散策しながら学 |
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習できる歴史公園となっている。 |
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一領具足供養の碑 |
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関ヶ原で破れた長宗我部氏は土佐を取り上げられ、その後山内一豊が入国した。 |
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その際、浦戸城明け渡しを拒んだ旧臣の一領具足たちは、重役家臣団と対立して |
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戦い、このとき討ち取られた273人の首は大阪に送られ、胴体は石丸塚として |
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一領具足供養の地に葬られた。 |
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※歴史の残酷さを物語る施設です。霊感の強い方にはお勧めしておりません※ |
桂浜 |
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雄大な太平洋に面した景勝地。 |
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月の名所としても名高く,よさこい節にも唄われています。 |
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龍頭岬には,太平洋を眺めるように坂本龍馬像が建っています。 |
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毎年、中秋の名月の夜になると「名月酒供養」が開催され、地元出身の歌人・ |
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大町桂月を偲びながら文芸を語り酒を酌み交わす。 |
高知県立坂本龍馬記念館 |
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幕末の英雄、坂本龍馬をテーマにした博物館。 |
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常設展示では龍馬が設立に係った海援隊約規や、龍馬が姉・坂本乙女に宛てた |
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手紙などが展示されている。 |
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龍馬を知る上で欠かすことのできない施設。 |
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龍馬の生まれたまち記念館 |
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坂本龍馬の生涯と家族、彼が生まれ育った高知市上町の歴史と文化と龍馬の後 |
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を継いだ人々についてジオラマや映像等を使用して展示する施設である。 |
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坂本龍馬誕生地 |
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高知城下本丁筋1丁目,現在の高知市上町1丁目上町病院前に,誕生地の碑は |
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建っています。父坂本八平直足,母幸の次男として,1835年天保6年11月15日 |
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この地で誕生した坂本龍馬は,1867年11月15日の奇しくも自らの誕生日に, |
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京都近江屋で凶刃に倒れるまでのわずか33年の生涯にあって,薩長同盟の締結 |
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や大政奉還など数々の功績を残し今も根強い人気を誇っています。 |
才谷屋跡 |
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坂本家の本家である才谷屋は,寛文6(1666)年に長岡郡才谷村からこの地に |
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移り住んで質屋をはじめ,商いを拡大していきました。 |
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一時は城下でも屈指の豪商にまで成長しました。 |
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才谷屋の跡には現在,喫茶「さいたにや」があります。 |
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近藤長次郎邸跡 |
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近藤長次郎は,河田小龍(かわだしょうりょう)の門下生で,江戸への遊学後, |
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亀山社中に入社し,龍馬の手足となって働きました。 |
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饅頭屋であった長次郎の生家は,現在碑が建っている場所より東側にあったとさ |
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れており,龍馬とは家が近く,少年時代から交流があったといわれています。 |
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坂本家墓所 |
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坂本家一族の墓所は,上町から北西に位置する通称・丹中山(たんちやま)の中 |
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にあります。元々二ヶ所に分かれていた坂本家の墓所は移転,改葬され,現在は |
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公園として整備されています。 |
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この墓所には龍馬の父母や姉・乙女らが眠っています。 |
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龍馬郵便局 |
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龍馬郵便局は,平成11(1999)年に局名を改称し,全国で唯一の実在した人物 |
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の名前がついた郵便局となりました。龍馬の生まれ育ったまちにあるこの郵便局 |
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には,全国から龍馬ファンが訪れています。 |
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龍馬郵便局の窓口で依頼すると,龍馬の姿が描かれた風景印を押してもらうこと |
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ができます。 |
和霊神社 |
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1762年,才谷屋先祖が建立した神社。 |
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1862年3月24日,28歳で脱藩を決意した坂本龍馬は,坂本家の守護神である |
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和霊神社へ詣で,ここで水杯をして,沢村惣之丞とともに梼原から伊予長浜を目 |
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指しました。毎年3月下旬には脱藩祭が行われています。 |
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高知市田中良助旧邸資料館 |
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現在の高知市柴巻にあった坂本家の領地を管理していた田中家の邸宅に,龍馬 |
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はよく訪れ良助と将棋を指して楽しんでいたといわれています。 |
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また,近くにある八畳岩の上から高知のお城下を見下ろし,はるか遠くに広がる |
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太平洋を眺めながら,将来について語り合ったといわれています。 |
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龍馬が当時足を運んだ建物で,現在も形として残っているのは,ここだけです。 |
ひろめ市場 |
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高知を代表する観光&食事スポット。 |
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市場内には郷土料理や特産品をはじめ、和洋中の多彩な飲食店がずらりと並び、 |
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「高知での食事に迷ったら、ひろめ市場へ」という言葉が実感できることでしょう。 |
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武市半平太殉節の地 |
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武市半平太は,対立する吉田東洋を暗殺し,文久3(1863)年に捕えられ, |
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その2年後にこの地で自刃しました。 |
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この碑は,ひろめ市場に程近い場所に建っています。 |
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高知城 |
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三層6階の天守閣をもつ平山城[ひらやまじろ]。 |
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初代土佐藩主・山内一豊が1601年(慶長6)に築城を開始。1611年(慶長16)、二代 |
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藩主・忠義の時に完成した。その後焼失したが、1753年(宝暦3)に再建。 |
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天守閣をはじめ、詰門[つめもん]や東西の多聞櫓[たもんやぐら]、黒鉄[くろがね] |
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門は、いずれも重要文化財に指定されている。 |
土佐山内家宝物資料館 |
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土佐藩主山内家に代々伝わる美術工芸品や古文書などの貴重な資料が展示さ |
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れています。 |
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初代藩主山内一豊の肖像画や絵巻・武器・武具・茶碗など、歴代藩主の生活を |
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うかがわせるような,時代を重ねたさまざまな品を目にすることが出来ます。 |
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武市半平太旧宅と墓 |
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幕末に土佐勤王党首領として活躍した武市半平太旧宅と墓。 |
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旧宅は元藁葺き式平屋建ての典型的な郷士住宅。 |
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** 武市半平太旧宅は現在個人宅につき、立ち入りできません。 ** |
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仲の良かった夫婦そのままに半平太と妻の富さん墓が寄り添うようにある。 |
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岡田以蔵の墓 |
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幕末に“人斬り以蔵”と恐れられた土佐勤王党員、岡田以蔵の墓。 |
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武市半平太の陰の部分を引き受け、また、龍馬に呼ばれ勝海舟の用心棒にも |
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なり、維新に貢献。 |
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武市半平太が切腹した慶応元年閏5月11日に斬首となりました。 |
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高知龍馬ろまん社中 |
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「土佐・龍馬であい博」のメイン会場。 |
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土佐から江戸、神戸から京都、長崎での象徴的な出来事を通して、坂本龍馬の |
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激動の人生を体感できる。 |
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また、併設する「とさてらす」では、観光スポットや旬のグルメなどを案内する。 |
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